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"鉄道フォーラム"代表の伊藤博康氏による鉄道コラム。
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!
寄ってみたい一畑電車の沿線 [No.No.H044]
5月31日のコラムでデハニ53形を運転、6月14日のコラムで出雲大社前駅・デハニ52形・旧大社駅を紹介してきました。でも、一畑電車に行ったらこれだけではありません。松江までの間に、ちょっと見てみたい、寄ってみたいところがあるのです。今回は、そんな見どころをご紹介します。
まずは、デハニ53形を運転した雲州平田駅の一つ松江よりにある布崎駅です。駅ホームの反対側に、年季の入った変電所が建っています。1927(昭和2)年に現在の電鉄出雲市~一畑口が電化される際に建設された、布崎変電所です。出雲大社前駅舎と同じく国の有形登録文化財となっています。映画「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」では、運転指令所としてロケに使用されたそうです。
いまも現役で活躍している変電所ですので、駅ホームから外観を見るだけしかできませんが、見落とすにはもったいない風格のある変電所です。もちろん、電車内からでもよく見えます。
布崎駅からさらに3駅松江よりにある一畑口では、線路が行き止まりになります。平地でありながら、上り・下り列車がともに前後が逆になり発車していくスイッチバック駅です。というのも、もともとここからさらに3.3km北にある一畑駅まで線路が続いていたのです。一畑駅は一畑薬師の最寄り駅であり、一畑薬師への参詣客輸送の便を図るためにできたのが一畑軽便鉄道で、のちの一畑電車です。ところが、戦時中に不要不急の路線として休止となり、戦後に復活することもなく廃止されてしまいました。その廃線跡は、行き止まりの先に道路としていまも活用されています。また、一畑口駅から一畑薬師までは、出雲市生活バスというコミュニティバスが運行されています。
この一畑口駅は、駅舎もホームもレトロな雰囲気で、下車してゆっくりと時が過ぎるのを楽しみたくなるような駅です。
ところで、ゲゲゲ鬼太郎の作者として知られる水木しげる氏は、若干4歳のときに一畑薬師を訪れているそうです。1926(昭和元)年ということですので、電化される前年で、まだ蒸気機関車が牽引していた頃のようです。妖怪の世界観をしげる少年に植え付け、「のんのんばあ」としても登場する故・景山ふさ氏は、一畑薬師の熱心な信者だったということです。水木氏宅のお手伝いさんだった「のんのんばあ」に連れられて、かつてしげる少年がたどった道筋に、「目玉おやじ」のブロンズ像が4箇所置かれています。また、一畑薬師の本堂境内には、「のんのんばあとオレ」と題する、のんのんばあとしげる少年が手を合わせて拝むブロンズ像もあります。その「目玉おやじ」の最初のブロンズ像があるのが、一畑口駅なのです。線路の上に立ち、廃線となった一畑薬師方面を指さしています。
さて、一畑薬師方向の廃線跡の道を500mほど行くと、左手に鳥居が見えます。その扁額には「松尾神社」と記されています。鳥居の先にある小高い丘の上にある神社で、佐香神社が本来の神社名のようです。「佐香(さか)」は「酒」の古名だそうで、つまりお酒の神様です。出雲国風土記にも、佐香神社が登場するほど歴史があるそうです。また、出雲にある神社のうち、出雲大社とこの佐香神社の2社だけが、酒造免許をもっているそうです。そのため、10月13日の例大祭の前日には国税庁から検査官が訪れ、例大祭当日には醸造関係者が奉納に訪れるとともに、新酒の濁酒が振る舞われるということです。
そんなお酒の神社ということで、酒好きな筆者も訪れてみました。すると、拝殿の賽銭箱の横には三方があり、御神酒と盃が置いてあるではないですか。御神酒は神様と一体になるためのものと言います。お酒の神様とはぜひとも昵懇になりたい私は、拝んだあとに一口いただきました。
掲載日:2013年06月28日
まずは、デハニ53形を運転した雲州平田駅の一つ松江よりにある布崎駅です。駅ホームの反対側に、年季の入った変電所が建っています。1927(昭和2)年に現在の電鉄出雲市~一畑口が電化される際に建設された、布崎変電所です。出雲大社前駅舎と同じく国の有形登録文化財となっています。映画「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」では、運転指令所としてロケに使用されたそうです。
いまも現役で活躍している変電所ですので、駅ホームから外観を見るだけしかできませんが、見落とすにはもったいない風格のある変電所です。もちろん、電車内からでもよく見えます。
布崎駅からさらに3駅松江よりにある一畑口では、線路が行き止まりになります。平地でありながら、上り・下り列車がともに前後が逆になり発車していくスイッチバック駅です。というのも、もともとここからさらに3.3km北にある一畑駅まで線路が続いていたのです。一畑駅は一畑薬師の最寄り駅であり、一畑薬師への参詣客輸送の便を図るためにできたのが一畑軽便鉄道で、のちの一畑電車です。ところが、戦時中に不要不急の路線として休止となり、戦後に復活することもなく廃止されてしまいました。その廃線跡は、行き止まりの先に道路としていまも活用されています。また、一畑口駅から一畑薬師までは、出雲市生活バスというコミュニティバスが運行されています。
この一畑口駅は、駅舎もホームもレトロな雰囲気で、下車してゆっくりと時が過ぎるのを楽しみたくなるような駅です。
ところで、ゲゲゲ鬼太郎の作者として知られる水木しげる氏は、若干4歳のときに一畑薬師を訪れているそうです。1926(昭和元)年ということですので、電化される前年で、まだ蒸気機関車が牽引していた頃のようです。妖怪の世界観をしげる少年に植え付け、「のんのんばあ」としても登場する故・景山ふさ氏は、一畑薬師の熱心な信者だったということです。水木氏宅のお手伝いさんだった「のんのんばあ」に連れられて、かつてしげる少年がたどった道筋に、「目玉おやじ」のブロンズ像が4箇所置かれています。また、一畑薬師の本堂境内には、「のんのんばあとオレ」と題する、のんのんばあとしげる少年が手を合わせて拝むブロンズ像もあります。その「目玉おやじ」の最初のブロンズ像があるのが、一畑口駅なのです。線路の上に立ち、廃線となった一畑薬師方面を指さしています。
さて、一畑薬師方向の廃線跡の道を500mほど行くと、左手に鳥居が見えます。その扁額には「松尾神社」と記されています。鳥居の先にある小高い丘の上にある神社で、佐香神社が本来の神社名のようです。「佐香(さか)」は「酒」の古名だそうで、つまりお酒の神様です。出雲国風土記にも、佐香神社が登場するほど歴史があるそうです。また、出雲にある神社のうち、出雲大社とこの佐香神社の2社だけが、酒造免許をもっているそうです。そのため、10月13日の例大祭の前日には国税庁から検査官が訪れ、例大祭当日には醸造関係者が奉納に訪れるとともに、新酒の濁酒が振る舞われるということです。
そんなお酒の神社ということで、酒好きな筆者も訪れてみました。すると、拝殿の賽銭箱の横には三方があり、御神酒と盃が置いてあるではないですか。御神酒は神様と一体になるためのものと言います。お酒の神様とはぜひとも昵懇になりたい私は、拝んだあとに一口いただきました。
掲載日:2013年06月28日
●伊藤 博康(いとう ひろやす)
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。
80年以上の歳月を経てきただけある存在感だが、
いまも、一畑電車に電気を送り続けている。