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汽車旅ひろば - ひろやすの汽車旅コラム

汽車旅ひろば


  • ひろやすの汽車旅コラム
"鉄道フォーラム"代表の伊藤博康氏による鉄道コラム。
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!

姫路市営モノレールの保存車と廃線跡 [No.H035]

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姫路市営モノレールの静態保存車両
手柄山交流ステーション2階モノレール展示室
9-17時開館、火曜定休、入場無料
かつて、姫路市に市営モノレールが走っていたことをご存知でしょうか?
1966(昭和41)年5月17日から1974(昭和49)年4月11日の運行休止まで、わずか8年弱しか走らなかったモノレールです。なお、廃止届は1979(昭和54)年1月26日付です。
JR姫路駅と山陽姫路駅の中間にあった姫路駅から、1.6km先の手柄山という姫路市民の憩いの場までを結んでいました。昭和41年の春に姫路大博覧会という大きなイベントを開催するのに合わせて開通したものの、公園までの公共交通では利用者が限られていて、博覧会閉幕後の利用が低迷したものです。その駅の跡が手柄山交流ステーションとなり、当時の車両が2両保存されています。両運転台の200形201号と202号で、永らく非公開でしたが、2011(平成23)年4月29日に公開がはじまりました。なお、姫路市営モノレールには、この他に2両連結の100形101-102号が在籍していました。
写真をみると、車両の下にあるコンクリート製の軌道にレールが1本載っていて、軌道側面にもレールがついていることが判ると思います。ロッキード式と呼ばれる、米航空機メーカーのロッキード社が開発した方式で、日本ではこの姫路市と、これまた廃止された小田急向ケ丘遊園前~向ヶ丘遊園間1.1kmを結んでいたモノレールだけに採用されたものです。

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姫路市営モノレールの廃線跡の様子
(1)から(4)まで、大きく右カーブをして姫路駅へ
1.6kmの廃線跡の多くを未だに見て歩くことができる
手柄山交流ステーションは手柄山の山上にあるため、同公園内からは姫路市街を一望にできます。特に北側の光景は鉄道好きにとってたまりません。山陽新幹線と山陽本線、それに姫新線も見下ろせるうえ、山陽電鉄もチラとですが見下ろせるのです。山陽新幹線の背後には、国宝として知られる姫路城も見えます。
その姫路城より少し東寄りの写真をここにご紹介します。赤字で数字と矢印・円を記しましたが、このままでは見づらいでしょう。画像をクリックすると拡大されますので、その状態でご覧下さい。画面中央を左右に横切っているのが山陽新幹線です。その下に山陽本線の電車が走っています。その電車の先の方、山陽新幹線と交差する手前の左右に(1)と(2)の矢印があります。なにやら山陽本線を横切っていますが、途中で途切れていますよね。これが、姫路市営モノレールの廃線跡です。その廃線跡をさらに左にいくと、山陽新幹線を越えた先に(3)のビルがあります。このビルについてはこの後、写真を使ってご紹介します。
(3)のビルから右方向にいくと、(4)の矢印でまたまた廃線跡が見られます。この(4)の矢印の右側で山陽電鉄をオーバークロスし、姫路駅に到着という具合でした。つまり、1.6kmの営業区間の多くの線路はそのまま残っているわけです。


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大将軍駅があった公団住宅のビル
線路が建物に吸い込まれる様子は他で見られないもの
線路にあわせて、建物も微妙にカーブを描いている

わずか1.6kmですので、散歩がてらに廃線跡を見ながら姫路駅まで歩くことがお勧めです。モノレールは高架ですので、道路上から見つけやすくて、迷うこともありません。手柄山から下山し、川沿いの廃線跡を眺めながら歩くとすぐに山陽本線・山陽新幹線の高架下に出ます。山陽本線を高架化した際に廃線跡が邪魔になるため、その部分の線路だけ撤去したらしい様子が見て取れます。その先で、線路は右に大きく曲がっていますが、広い県道部分はやはり撤去されています。その県道を越えたところに、手柄山の上から見えたビル(3)があります。
このビル、なにかヘンです。何だか微妙にカーブを描いているうえ、低層階には廃線跡の線路が潜り込んでいるのです。実はこの建物、大将軍駅として建てられたものでした。1-2階は店舗、3-4階が吹き抜けになっていて3階に線路、4階にプラットフォーム。その上が公団住宅という先進的なものでしたが、あまりに姫路駅に近いために利用客がほとんどいなかったそうです。そのため、開業からわずか2年弱の1968(昭和43)年1月31日にはもう営業休止届けがでています。実際にはそれ以前から休止していたようで、モノレールは同駅を通過していました。ちなみに、いまは駅部分には出入りできず、店舗もほとんど入っていません。純粋な公団住宅となっているわけです。

なお、手柄山へは週末を中心に姫路駅南口から手柄山ループバスがでています。また、山陽電鉄の手柄山駅からも歩いて10分程度です。これらの交通手段でまずは手柄山に行き、その後、廃線跡を見学しつつ姫路駅に戻るコースがお勧めです。気候の良い時期になりましたので、散歩がてらに廃線跡ウォークをするのはいかがでしょう?



掲載日:2013年04月26日


●伊藤 博康(いとう ひろやす)
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。